スクランブルのメンバーとして、
サニーサイドアップグループに入社して、8年。
2024年3月にグループを卒業しました。
私の父は、身長180cmにウエスト100cmという
どこから見てもインパクトが強すぎる風貌に加え
昭和を絵に描いたような熱すぎる性格で
経営者として家族を守り、小さい頃からお金の大切さと
仕事をすることとお金を稼ぐことの違いを教えてくれた反面、
おはようとおやすみのハグと握手は欠かさなくて、
口癖は「愛してる」という愛情深すぎる父でした。
私の母は、父の為に、家族の為に
自分の時間は一切削ってでも愛情を注ぐという人生の選択をし
家事は当たり前のように完璧にこなし、
どんなにつらい場面に遭っても、決して弱い姿を見せず、
「愚痴を言って解決するならば愚痴を吐く」と、
前進することだけに全注力を注ぎ、
いつもポジティブに家族を支えてくれる強すぎる母でした。
そんな私が心から尊敬し、誇らしい両親でしたが、
父は私が23歳の時に、母は私が26歳の時に
病気で亡くなりました。
その頃、夢だったテレビの仕事がしたく、東京に住んでいた私は、
緊急入院したという母からの電話で急いで名古屋に戻ったものの
父の死に目にはあえず、名古屋の病院に到着した時は
大量の管に繋がれ、翌日そのまま帰らぬ人となりました。
そして、追うようにして、父の1周忌を終えた頃
母に癌が見つかり、余命3カ月と告知。
母の強さで1年半生きてくれたものの、病に勝つことはできませんでした。
合わせて、父方や母方の祖母が亡くなったりと、
ほとんどは両親や祖母の看病、そして他界と
家族のケアに邁進することに精一杯だった20代は
仕事をすること、キャリアを築くということからは
遠い生活を送る毎日で。
大切な人がどんどんと周りからいなくなる
そんな悲しさに、ただ、ただ、耐える毎日でした。
「一度きりの人生だから、諦めずに自分の人生に挑戦しなさい」
亡くなる直前に言われた母からの言葉でした。
その後、自分の人生を生きるために
母と約束したロンドン留学を叶え、
必死で英語を習得し、味の素ロンドン支社に拾っていただき
ロンドンで餃子のマーケティングを行うという、一風変わった経験の後、
貴重なご縁をいただき、
スクランブルにジョインさせていただきました。
初めて会った時の淀瀬さんは、
バキバキのスリーピースなスーツ姿で(笑)
あれから8年間
とにかくがむしゃらに、時には寝る間を惜しんで、
たのしいさわぎの為に毎日を過ごす日々は
私にとってはかけがえのない時間でした。
淀瀬さんから突然与えられた服は時に大きすぎて
足りていない自分の小ささにもがき、
辛くて逃げ出したいこともたくさんありましたが、
それ以上にたくさんのビジネスすることの楽しさや
やりがい、自分が大きく飛躍させてもらえる「挑戦」のきっかけを
本当にたくさんいただき、
ここまで成長させていただけた環境に
心から感謝しています。
そして、何よりも、最後の1年でLinkedInのみなさんから
人生のすばらしさ、熱い思いをいつまでも持ち続けることの大切さなど
学ばせてもらった大切な原理原則は、
自分自身の仕事はもちろん、人生を見直すきっかけを頂きました、
本当に有難うございます。
「一度きりの人生だから、諦めずに自分の人生に挑戦しなさい」
今年で37歳となります。
愛する母が私を産んでくれた年ということもあり
40歳を迎える前に、母の言葉に従い、
そろそろ次のステップに行きたいと思い
この道を選ぶことにしました。
HUG&SHAKEでは、自分が思う夢であり、
小さい頃から憧れていた父の姿でもある
「会社を経営する」という夢を叶え
今までサニーサイドアップで培わせていただいた力を生かし、
スクランブルに入社させてもらった時の私のように、
時に大きすぎる洋服を着せてくれたあの日のように、
何歳からでもどんな環境からでも
毎日を頑張りたいと思っている女性たちを支援できるような
そんな仕事をしたいと思っています。
淀瀬さんは、人の笑顔のために生きているような人で、
どんな時でも仲間のことを見捨てない
熱すぎる思いで本気で世界を幸せにしたい、と思っていて
その為に、ただひたすらコツコツと努力と学びを重ねています。
飽きないのかなぁと思うこともありますが(笑)
あの時の母の言葉のように、諦めず、
常に学び・人生に挑戦することの楽しさをいつも見せてくれます。
今後も淀高コンビとして「FUN」を届けていきたいと思いますので
引き続き見守っていただけますと幸いです。